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痴呆老人が創造する世界

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音楽療法を考える

音楽療法を考える

療法としての「音楽」をめぐり、「音楽」に構築されてきた階級性を解体し、万人に開かれた自由性を掬い拾おうとする描写。確かにそうかも。そう考えると音楽療法の営みって深そう。

「作業」療法というときに、「作業」がその人の健康に何らかの影響を及ぼすということは、経験と実感に基づいた命題として存在しているので、不問に付されているところがある。それを前提として話は始まるわけだけど、「音楽」療法もそんなところがあるなと。「作業」にも「音楽」にも確かにその人の身体や情動に働きかける何かあるということは多くの人が感じ取っていることだと思う。だけど、それはあまりに複雑な要素が複合的に科学反応を起こして生じることなので、なかなかEBMとか統計的な効果検証という体裁になじみづらい話だし、そうしたところで、「作業」や「音楽」からその人が得た何かを顕すには陳腐化してしまうようにも思われる。同じ「作業」や「音楽」が別の人に同じような影響を与えるとは限らないのだ。

「作業」についても、作業による生産品は商品化されたりするが、音楽についても人々に驚きと感動を与えるものとして純化されて、商品化される性質を含んでいる。そんなところも似ている。つまり優劣価値を付与されやすい性質を持っている。作業を労働と置き換えてみれば、その人の仕事能力は作業能力とも置き換えられる。

違うところといえば、「作業」にはルーチン化された無味乾燥なものがあるけど(それも本人がどのような意味付与するかで違いがあるが)、「音楽」は人が「音楽」によって能動性というか意味性を引き出されてこそみたいなところがあるような気がする。ちょっとよくわからない。どうなんだろう。あとは、音は空間を占拠しないけど、距離を飛ぶことができるといった性質か。商店街で流れる音楽などは文字通りそんな感じがする。

この本を読んでいると、著者の音楽の感度に驚かされるのと(著者は「こんにちは」を音韻として聞きとるより音響として、例えば倍音の多い声だなとか、聞きとるのらしい)、療法としての「音楽」を考えることから、現代の「音楽」がいかに規格化され、また私たちがそのように音楽を変換して聞きとるように家畜化されてきたかが見えてくる感じ。