当事者×セラピストについて

 
 障害当事者としての経験とセラピストとしての経験の療法を持つ「当事者セラピスト」の人たちによる出版物がいくつか出ている。
 
 私自身、2つの経験を持つ人たちは、当事者としての経験があるために、セラピストにしてほしいこと、してほしくないこと、を主観的経験から語れる力と、一方で、セラピストとしての文化圏における論理を知っているので、必要な変容に向けた働きかけができる力を持っているため、客観主義的な専門職性に対して、主観的経験の重要性を説得的に言うことができる立場の人たちではないかと考えたりしている。

 だけど一方で、主観的経験の一般化のむずかしさを指摘されたり、専門職性についての教養の深さを試されることもあったりし、やはり当事者性と専門職性をクロスブリッジするのはそう容易いことでもないのだろうとも思う。

 近年、当事者×セラピストという立場の人がつながりあって、立場性を共有しあう機会が増えてきているようだ。それはたぶん共有しあうに値する、困難な経験がそこにあるからなのだと思う。

 セラピストは、それを改善する立場にあり、当事者×セラピストの人たちは、そうした志向性も共有している。だから、自らの当事者経験を生かして、セラピストや家族、同じ経験を持つ当事者の人たちに、メッセージを伝えようとし、出版物を作ってきたりもしたのだろう。

 当事者×セラピストという立場性を持つ人たちが、当事者としての経験を、セラピストとしての志向性を持ち、否定的な経験とばかりせずに、肯定的な経験と塗り替えられる道筋を幾重にも見出してくれることで、障害を持った人にとって、当事者性が根付いたリハビリテーションを受ける機会の増加にもつながっていくことになるのかもしれない。