「中途障害者の生活の再編成に関する先行研究の検討」を読んで

大島埴生他著「中途障害者の生活の再編成に関する先行研究の検討」川崎医療福祉学会誌27−2:247−258 を読んでの諸々。

これは読んでよかった。先行研究を、研究には、医学モデルに基づく研究、生活モデルに基づく研究、社会モデルに基づく研究、個人史に着目研究、インペアメントに伴う体験に着目した研究にカテゴリ化している。

そのうえで、援助志向ー当事者志向、個人ー社会の4象限を作って、それらを位置付けている。

作業療法は、このカテゴリ化でいうと、どうやら医学モデルから生活モデルに移行している印象がある。福祉の言説に近似してきている感じだなと。

また、私が行ってきたのは、社会モデル・当事者志向だと自分では思っているが、著者は、障害の社会モデルについて、

障害の社会モデルは、生活の再編成を論じるうえで欠かすことができない、それは、たとえ当事者が障害の肯定的意味を見出し、社会的活動に従事したいと考えたとしても社会がそれを受容しない限り障害(ディスアビリティ)は残存しつづけるから。特に医学モデルで推奨されるリハの継続やセルフマネジメントが健常者への同化傾向を暗に肯定し、自身の障害を否定しかねないという点は医学モデルの中では十分に議論されていない点(251)

まさにそのとおりだと思うし、これまでいろいろなところで自分も主張してきたことではあるなと。作業療法では、新しい定義にもみられるように、個人の価値や意味が重要視されているが、その一番の盲点は「ディスアビリティ」問題だと思う。「作業的公正・不公正」概念はどのように対応しているのか、よく確認したいところ。

最後に、研究の方向性の理想形として「統合型」が示されて、「社会構築主義のアプローチに身体性を据える現象学的研究を加えたアプローチ」「社会システムの脆弱性という「水平な社会的側面」と、混乱させられた身体の弱さという「垂直な存在論的側面」を結合させるという研究の視座」(253)としている。

こちらも同感。

研究方法としては、エスノグラフィックな行動観察をとおした現象学的分析が有効ではないかと最後に言及している。

そうだな、と思う。それと併せて、上述に戻ると、障害の社会モデル的視座からの基本原則的な議論も必要なのだろうかと。ただそれについては、WHOで推進しているHRBAを活用するということがよいのかもしれない。