親のための新しい音楽の教科書

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目からウロコの作業料理の本 作業療法覚書

目からウロコの作業料理の本 作業療法覚書

 以前、ある会合に参加した際、作業療法の中で認知症の人に計算や漢字の模倣が課題として出され、その人は苛立ちからか、それをぐしゃぐしゃにする場面のビデオ放映が流れた。その会合にいた作業療法士は私だけだったらしく、どう思うかと聞かれ、困惑してしまった。作業の力は作られたものではなく、自然的なものの中にあるのでは…冷や汗をかきながら答えた。
 山根先生ならどのように答えていたかと思う。本書には冒頭、作業療法を「おもてなし」とし、「平凡で豊かな日常性にこそ、構造化された通常の治療では得られない、自然な治癒力を引き出す力が秘められている」(p17)と書かれてある。そして「楽しい作業」ではなく「楽しく作業」する工夫をすることの大切さが言われる(p19)。つまり平凡な日常性に輝きを差し込ませる配慮こそが作業療法ということになろうか。
本書は普通の本ではない。愛着を覚え、特別な存在に思えてくる。なぜなら、随所に山根先生の粋な遊び心が顕れ、読む人に色彩や温度をもたらしてくれるからである。その一つが詩である。
じぶんの「からだ」の存在 じぶんが在ることの確からしさ 「ああ…そうか」 「これでいいのか」「これでもいいんだ」
これは、平凡な日常性に光射す大事な素材である「身」についての詩の一部であるが、光射す手前で大事なことは「じぶんが在ることの確からしさ」なのだと味わいとともに気づかされる。
「身」の他にも六つの作業料理の素材が紹介される。「食」「植」「土」「音」「描」「言」である。なぜこの七つなのだろうかと不思議に思ったのだが、よくよく考えてみると、これらの素材はどれも装いのない裸の自分と密接になれるものなのだ。「食」は命と直結し、(p114)、「植」は「育て」「食べ」「委ね」(pp119-123)、食物の命の営みに思わず心踊らされる存在であるし、「土」は、植物を育む一方で、粘り気のある感触が心地良く安心感や退行感をもたらしてくれる(p154)。「音」は自分の情動を表現し、伝え(p182)、「描」はことばにならない想いをあらわすことができ(p205)、「言」はひとの体験に意味の輪郭を与え、確かなものにしてくれる(p236)。
これら七つの素材を用いた作業療法レシピが数多く紹介されているのも本書の特徴である。しかもそのレシピは、どれも簡単で、素材の持ち味が存分に生かされた大変魅力的なものばかりである。1つ紹介をすると「音」レシピのなかに「伝想太鼓」がある。長胴の和太鼓を両側から二人で呼応しながら打ち合うものだが、八丈太鼓に触発されてできたプログラムだそうだ。八丈太鼓の経験があるが、これは音の鼓動とリズムによるまさに対話である。八丈太鼓までプログラムに!?という驚きとともに、ひとが音を用いる本来的な理由と機能が生かされたプログラムと腑に落ち、感激した。
本書は「治る」「治す」というとらわれを超えて、「病いを生きる」「病いも生きる」(p17)といった「病い」に対する肯定性を基盤にしているからこそ、ひとと日常的作業の間に在る緩やかな病いの恢復の力能について一貫して言葉にされていると感じる。作業を扱う専門家を自負する作業療法士なら読むべき一冊である。