わたしのからだをさがして

わたしのからだをさがして―リハビリテーションでみつけたこと

わたしのからだをさがして―リハビリテーションでみつけたこと

という不思議なタイトルの本。以前、都立大久保病院で認知運動療法の見学をさせていただいたのだが、その時お世話になった作業療法士の中里瑠美子先生が書かれた本のタイトル。といってもそれは正確な表記ではなく、この本は、川崎病で小さい頃左片麻痺となった小川奈々さんのリハビリを中里先生が行うなかで、小川さんのからだ探しをめぐってメイルのやり取りをしており、その往復書簡で成り立っている。
片麻痺を有する人の身体世界が淡々と丁寧に表現されていて、ああ、私の今担当している片麻痺の方たちも、こういう世界を創り上げているのかなぁと思うと、機能を回復する、何かができるようになる、ことを目指すのではなく、まずは、その人の身体世界の声を聞いてみたい、と思えてくる。
最近の自己反省だが、作業活動を回復手段として用いることは上手になってきていると我ながら思う。その分かえって、患者さんには、ぎりぎりの運動を強いていることがあるように思える。だから、患者さんの身体は時に、きゅうきゅうな、苦しい感じになってきているように感じられるときがある。動きは出現してくるのだが、なにか、自分の手としての実感には直結していかない感じなのだ。だから、動くようにはなっても、その機能を意識しないと使おうとしなかったりするのではないかと思う。

小川さんの身体世界は、左側を硬くして、それを右側でかばっており、誰かがいる場所では、危なげなく身を守ることに意識が持っていかれる。だからんほとんどの機会で、身体が自由に解放されるという実感を経験したことがなかった。また、小さい頃の障害だったため、周囲の子ども達は、小川さんの体の動きを心無く真似たりする。小川さんはそのことを淡々と書かれるが、私ならやはり不快な経験だ。私はそうした経験も影響していたのではないかと想像するが、小川さんの身体感覚は乏しいものだった。身体が楽であるとか気持ちがよいという感覚が、リハビリを開始した当初はわからなかった。だから、リハビリによって常に緊張をしている左手の筋緊張が取れ、くたっとなった瞬間、「自分の手がなくなったみたいで怖い」と語った。その場にいた母親も中里先生も「緊張が取れて楽になった」と言う言葉を待っていたのだが、期待は多いにはずれた。

当初は、そんな状態の小川さんだったが、からだ探しの旅をしていくなかで、自分の身体の声に耳を澄ますようになり、そして、そのかすかな声を聞き取るようになった。読者は、読んでいてそんな印象を持つと思う。そして、体が楽な感覚、気持のよい感覚、あるいは、体が作る意味世界までも模索し始める。私も、中里先生の臨床場面を見学させていただき、さっそく職場で認知運動療法を試みた一人だが、セラピストが、クライエント自身に自分の身体内部を観察してもらうように誘導することはとても難しいと思える。セラピストの想像力・思考力が要求されるし、それを説得的に説明できる豊かな語彙も必要になる。この往復書簡はよどみなく、さらりと進行していく感があるが、中里先生の小川さんへの身体世界への誘いというのは見事だと本当に感動してしまうところである。