もう1つ

少々古い話になるが、京都のOT学会に合わせ、障害受容研究会を行った。N先生はわざわざこの日のために自家用車で京都までおいでくだすった。>お疲れ様でした。で、翌日、障害受容研究会メンバーで、京都近郊在住者をのぞく数名で、京都観光へ。嵐山の方へ行った。天竜寺、とあと縁結びの、何寺だったっけ?(これ見てたらOさん教えて!)と、あと、嵐山から、電車で、車折駅にゆき、駅の目の前にある車折神社に行った。寂れた感じの神社だが、坂口安吾のエッセイにも登場するとのことで、その部分をN先生がお送りくださった。>ありがとうございます。

 隠岐安吾の友人。安吾が京都滞在の折りにお世話になった人)の別宅から三十間ぐらいの所に、不思議な神社があった。車折神社というのだが、清原のなにがしというたぶん学者らしい人を祀っているくせに、非常に露骨な金儲けの神様なのである。社殿の前に柵をめぐらした場所があって、この中に円みを帯びた数万の小石が山をなしている。自分のほしい金額と姓名年月日などを小石に書いて、ここへ納め、願をかけるのだそうである。五万円というのもあるし、三〇円ぐらいの悲しいような石もあって、月給がいくらボーナスがいくら昇給するようにと詳細に数字を書いた石もあった。節分の夜、燃え残った神火(トドン)の明かりで、この石を手に執(と)りあげて一つ一つ読んでいたが、旅先の、それも天下に定まる家もなく、一管のペンに一生を託してともすれば崩れがちな自信と戦っている身には、気持ちのいい石ではなかった。(坂口安吾「日本文化私観」昭和17年3月、安吾36歳のときのエッセー)

そう。そして、私たちが行ったときも、そのような風情が漂っておりました。
おもしろい神社でした。