映画「春の雪」を観る

三島由紀夫原作の小説を映画化したものだそう。原作は読んでないから、小説と映画の近接性についてはなんともようわからん。一言で言うなら、「恋愛悲話」?。までも、とりあえず、妻夫木聡竹内結子が美しいからよいが、そうでなれば勝手にやって、といいたくもなるような、ビジュアル系映画だったようにも思う。「夢」が1つのモチーフとしてでてくるが、幻想的で、浮遊した感覚にとらわれるような、「もってかれるような」、(たぶんそこがねらいだったんだよね)、でした。いろんなモチーフを使って「もってこう」と、してるんだよね。ただ、それがわかってしまう、相手の努力としてかんじてしまう、わけだから、たぶん、映画としては、あまり成功とは言えなかったのかもしれない。「恋愛」のうねるようなエネルギーがまず主軸として描かれて、その周辺に、「夢」「時代」「風景」「流れ」などとして、それとは別のたおやかだったり、なつかしかったり、浮遊しているようなかんじだったり、清らかだったり、冷たかったり、鮮やかだったり、という感覚が、そのうねりエネルギーをより官能的に仕立て上げてる、ってかんじかな。わかんないな〜。内容的には、身勝手な男に女が振り回されて、不幸になっちゃった、みたいな、そんな風にも十分に読める。が、妻夫木くん演じるその若い男性の心理状況に着目するなら、そこに、この文芸作品の意味がある、ということになるのかも知れない。二人は幼なじみで許嫁だったわけだが、で、彼女は、ずっと、彼のことが好きだった。彼の方は、屈折していて、そういう表出もないだけでなく、まるで嫌いそうなそぶりさえする。いよいよ彼女もいい歳になって、誰と結婚するかという話になってきたとき、彼女は、目で、態度で、言葉で気持ちをあらわにするのに、彼は、それに応える気すら見せない。そのうえ、自分の友人と彼女をいい仲にさせようと画策したりする。そんなこんなで、まったく気持ちはすれ違う。そんなある日、彼女はある高貴な人に見初められて結婚させられてしまうことになる。そうなって始めて、彼は、彼女への愛に自覚的になったのか、手に入らないものへの欲望が深まったのか、その両方が入り乱れて?、しつこくしつこく肉欲の関係を持つようになる。彼女は、最初から彼のことが好きだったのだから、やはり吸い込まれるように、その関係に呑み込まれる。しかしこれは禁断の関係であり、両家ともいいとこの家だから、このことが公然にさらされれば、家の滅亡につながる。両人ともそんなことははなからわかっているが、お互いを求める気持ちが勝り、現実にはまったく盲目になってしまう。そんな渦中で発覚したのが彼女の妊娠。いよいよこの秘密の関係は、家同士に知られることになり、彼女を人知れず堕胎させることで方針が決まる。そしてことが終わり、その足で、知り合い?の寺院を訊ねた彼女は「彼とはこの世では二度と会わない」と誓い、出家することを決意する。で、そこに彼女と会えない苦しみと辛さで肺病に冒されてしまった彼が会いに行くのだ。しかし、その寺院の女僧に彼は門前払いされる。何度行っても。それでも、もはや歩くこともできない身体でやはり行く。「自分を待っているかも知れない彼女を信じたい」と言って。そして、最後に今生ではもう二度と会えなことを悟り、永遠の愛(必ず会える)に確信を深め、話が終わる。あらすじ書いてしまったが、だからさー、つまり、この人たちはもともと許嫁であって、彼女の気持ちも決まってたんだから、もっと早く、好きなら好きってことにしときゃ、こんなややこしいことにならなかったのよ。まーそこが文芸作品の醍醐味、てか、若い男の心情の複雑な機微?、なんだろうけど、どうもそういう感性が不足している。まったく不足している。のか、枯れたのか(枯れるほど肥やしちゃおらん)、はたまた脳の老化か?、なんかややこしいことに付き合わされてる感がどうしても片隅に残ってしまって、だもんだから、うまくのれない、というのがあったのかもしれないな。三島由起夫、鑑賞する資格もへったくりもあったもんじゃぁないですね。すいません・・・。