第1回障害受容研究会

日曜日に。私にとっては、実りが多すぎて、何から、どう書いたらいいのか、ちょっと錯乱状態。でも、忘れたくないことは書いとかないといけない。私にとっては、基本的には、N先生から公開論文指導を受けたというかんじか?周辺にいた同好会メンバー?もズケズケと言いたいことを言うてくれた。時間としては、13時頃から始まり21時頃までだから、約8時間、「障害受容」について、「論文を書くこと」について、「熱く」、教えてもらって、語り合って、私はムキになって反論して、というかんじだった、カナ?しっかしそんなにたくさん話したのになおそれでも時間が足りなかった。もっともっと話したいこと、聴きたいこと、がたくさんあった。N先生は、「障害受容」ということについては、リハ業界を先導しておられる方で、といっても、これまで構築されてきた「段階理論」等の怪しげなセオリーについて、それを批判する立場を取ってこられた。そんな先生から、私が「障害受容」について書いた論文をああだこおだ言ってもらえるのだ。こんなに幸せなことはない。先生は、少なくとも日本における「障害受容」にまつわる歴史とともに歩んでこられた方で、私にとっては、文字でしか知ることのできない・推測できないことをリアルに語ってくださる。たとえば、国立身体障害者センターにおける1950年代後半あたりから行われてきた障害受容にまつわる研究、例えば海外雑誌の和訳とか、その時の誤訳が、内部資料として行き渡り、はたまた、作成された膨大な資料が、TセンターのFさんに渡り、公式な論文としてさらに流布してしまった、その辺から、「障害受容」言説の誤りというのはすでに始まっていたというようなこと。あとは、リハ業界大御所U先生との関係のことなど、あるいは、N先生の論文を拝見するなかで、共著で書かれたあの人とは最近書いてないけど、どうして?というような疑問にも答えてくださり、へーっ、と本当に私にとっては、お宝話のオンパレードというかんじだった。しかも論文の中身についても密に指導していただいた。私が最も印象に残っているのは、私が過去から拾った論文を見ると、たしかに、「意見」論文であって、「実証」論文が極めて少ない、ということだ。言われるまで、そういうことには全く視点がいかなかった。つまり、「確証」が持たれるべきはずもないことが、「確証」として歩き出してしまったという功罪がまずあるのだ。N先生的には、そこを言えば、十分だと言う。そうかも知れない。まあでも、私はもう少しまどろっこしく言ってこう。N先生にも、私のやろうとしている仕事はめんどくさいよ、と言われた。かもね。そして、論文構成のわかりずらさ。言われてみればまったくその通りで、実は私のなかにも微妙が葛藤があったことが、これもやはり指摘されて気づいたのだが、つまり今回の論文を、単なるReview Articlesにしたいのか、それとも仮説検証を含んだような、Gneral Remarks的なものにしたいのか。私はすぐさま投げやりに「総説でいい!」とか言ってしまったのだが、そうじゃないでしょ、というところで、N先生は、これをGneral Remarks的なものに見えるにはいかに書き換えるかに多くの時間を割いてくださったのだった。それもひとえに、この論文があるissueを持ったものとして、どんな領域の人が読んでも、わかりやすくて、信頼性のおける論文として受け止めてもらうにはどうしたらよいかの配慮に他ならない。本当に涙がでる程ありがたい。つまり、この論文を、
もちろんリハ関係者が読む可能性もある。先生は、そのなかでのポリティクスも十分にご存じで、心得られていて、だからこそ容易にもみ消されないために、可能な限り論文としての水準を高めようというお心遣いなのだろうと、理解した。参加されたOさんは、論文を「作品」と呼ぶ。Oさんの言葉だが、人の命は限りあるものだけど、論文は自分が死んでも残るものだから、後世の人が見て、恥ずかしくないものを書かなければいけない、と。N先生も大きく頷いていた。みんなそんな覚悟で論文書いてる。それにひきかえ私は、みんなが私の文章にケチつけてくると(しかもそんな認識)めんどくさくなって、「これ消すからいいよっ」「これいらないっ」、我ながら、ななんて安直・・・。ごめんなさいでした。それにしても私の文章は読みづらいらしい。これは、作業療法に掲載された文章でも言われた。N先生には「わっかんねー」と度々言われた。Aさんのはなしは、「ほんとわかりやすいよー」と言い、「それにひきかえ、○○(私)さんのはわっかんねー」である。悪かったですね。まーったく、この点については、いろいろな人からいろいろ言われた。思い込みの文章、だの、科学じゃない、だの、○○(私の名)ワールド、だの。まあでもこれは指導教授がワールド系文章なんだからしょうがないわよね、ってまた開き直り。論文の内容についての指摘はまだまだいろいろ。例えば、対象を学術誌に絞った理由。学術誌に絞ったのならそこでどの範囲を扱ったのか、原著だけなのか、あるいは意見もの含めたのか、巻頭言レベルものはどう扱ったか。たしかに、その辺は、じつは、中途半端なところであった。指摘されてとてもイタイ。あと、分析方法が不鮮明で恣意的に見えること。一言加える必要があるだろう。あと、なんで70年代以降、なのか。70年代以前は、ないの?と聴かれた。そうよねぇ。言われてみたら、そうよねぇ。不思議よねぇ。歴史として、1959年までは言ってるから、確かに、その間が空白なのだ。まったくしょうもないね。出直します。そして、私の論文の抄読会は、これだけやっても、まだ半分。続きは、第2回へ、ということになりました。みなさま、ほんとにありがとうございました。お疲れさまでした。次回もよろしくネ。えっ?、もう非寛容な人間はイヤだって?この研究会でずいぶん寛容さが養われましたから、だいじょぶです。マチガイナイ!あっそうそう。N先生印象としては、私はそのご著書を読んで、オチャメな方に違いないと思っていたが、それに加え、ノリのよさ、粘り強さ(エネルギッシュ!)、厳しさ(とってもしごかれた!)、(もっといろいろあるが)等、を持っておられ、それはお会いして知ることができたものだ。いま先生のご著書を再読したら、また新たな発見ができるかも知れない。