「障害受容」インタビュー

今日は、「障害受容」関連で、作業療法士理学療法士にインタビューしに埼玉へ。埼玉県内にあるリハセンターへ行った。そこで同級生が働いており、彼女がお願いしてくれ、OT2名、PT1名にお話を伺えた。今日は施設でバザーを開催しており、バザーの合間を縫って、順番にインタビューさせていただいた格好である。みなさん心よくインタビューに応じてくださった。感謝。持つべきは、職場で信頼されている友、である。彼女には、感謝感謝、感謝でいっぱいである。内容的は非常に興味深いものだった。やはり、話しというのは聴いてみるものである。聴いてみないと、その人の内的世界というのはなかなかわからないものだ。「障害受容」という言葉の使用については、1つには、時代背景との関連性は抜かせないようだ。OT歴25年の大ベテランの方にお話を伺うことができたが、80年代頃にもっとも使用された感があって、その後はあまり使われなくなったと言っていた。またそれには、自立生活運動の思想の広がりも影響していたかもしれないとのこと。つまりその方曰く、ADL自立を絶対のゴールに据えなくてもいいんだ、その人が望む、その人がしたい生活ができればいいんではないか、という発想の転換というか、きづきのようなものも影響していたかもしれない、ということだ。もう1つは、経験年数である。いろいろな経験年数の方に伺ってきて見えてきたことだが、経験年数が長い人ほど、障害受容という言葉を使わない、あるいは、使わなくなった、と言う。または、個人の経験として、経験年数が若い頃は使っていたが、経験を経るなかで、「障害受容なんてできないのがあたりまえだよな、自分だってそうだよな」と思ったり、「障害受容」という言葉の使い方のおかしさに気づいて、意識的に用いなくなった、というような話しが聴かれた。あと、面白かったのは、それぞれ、「障害受容」という言葉についての観念というか、認識は、それぞれが独自の定義付けをしているようなところがある、ということである。これも、経験年数による違いとして感じられる部分もあり、どういったらよいか、考えどころのようにも思うが、なんか変な言い方になるが、年数を経るほど、障害受容の到達点は間延びし、薄まっていくようなかんじである。機能訓練に固執して困る、というような意味内容の使われ方から、施設を退所するときには、うまく社会適応してもらって、とそこを障害受容の地点を置く、つまり結果的に受容しているという状態を目指すところ、さらにいくと、障害受容は目的の地点すらならず、それは今でもあり、遠い先のことでもあり、それは支援者にとって、一瞬一瞬の患者本人との関わりのなかに存在しているような状態になっているといったかんじのものだった。お話を伺わせていただいたPTの方は代償的アプローチをとても大切なものと考えており、それは非常に納得のゆくものだった。私は最近書いた論文で、回復アプローチから代償アプローチへの移行困難性に「障害受容」という言葉が用いられてきた可能性があったことを指摘し、そうした単線的アプローチに支援者が束縛されることで、患者・クライエントの「生の固有性」に接触できない、というような問題点の指摘をしたような記憶があるが、で、そこで南雲先生のコミュニティアプローチ論に肯定的意味を見いだしたわけだが、やはり代償的アプローチも大切だ。その辺どう言っていくか、新たな課題もできた、というようなかんじでもある。