ピアノ日記

なんとなく先日、やっぱり続けよう!、と決意したので、決意表明も兼ねて、日記に書いてくことにした。続くことを祈る。この4年ぐらいは、ぴたっと止めてしまったその前の4年間よりは、弾いていた。というのは、たまたまOT室にピアノが寄贈されたからで、それを利用者さんに還元しようと、それなりにやっていた。千住真理子が言っていたが(レベルは全然違うけど)、こういう身体に仕込んだ技術というのは、「もうやめた!」と、決意してぴったり止めてしまうと、全然弾けなくなってしまうのだ。だから、再開当時はほんとうに辛かった。今も辛いが、10分と弾くことができない。音も十分にでない。腕や手指に痛みを感じるわ。なにより辛かったのが、今でもそうだが指間の関節拘縮が生じており、以前のような指の動きが取れないのだ。「なんでここで人差し指が曲がってくるんだよ」というようなところで勝手に指が曲がってしまって鍵盤を思うように打つことができない。また、小指、環指などは日常生活上あまり使用しない指だから、筋力の低下も明らかに生じていて、鍵盤をまともに叩くことさえできない。そんな辛さと闘いつつ、なんとなくやってきた4年間だった。それでもやはり弾くのが苦痛なので、基本的にはピアノに向かいたくないから、忙しくなってきたりすると、それを理由にしてやらない、というようなかんじだった。と、ついつい疎遠になりがちで、自分でも、もう今さら音大いくわけでもないし、別にいいや、というかんじだったんだが、この間、ふいに、でも、「続けよう!」と思った。思えた。多分、先日職場でボランティアでやった、歌の伴奏が、そんな気持ちに自分を向けさせてくれたんではないかと思う。職員で歌好きの人たちが集まって施設入所者に聴いてもらう、というささやかな企画があり、そこで伴奏をさせていただいたのだが、正直、(私的には)こんな状態だから、果たして、まともな伴奏ができるんだろうか、と不安だったのだが、音を表現するという次元で、それなりに自分でも満足のゆく演奏ができて、聴いてくれた人たちが、満足してくれた様子が伺えたというのが大きかったのではないかと思う。あとは、こうして、何らかの力が私を再びピアノに向けさせてくれているということを感じるからだ。それと、やはり再開し始めた当時に比べれば、明らかに、指の動きはよくなっているんではないか、ということ。あと、ピアノを弾いた日の方がたしかに指の調子がいいということ。たぶん、生まれてほどなくから20うん年引き続けてきた指だから、指がその状態に適応しており、かえってそうしてないと、変になってしまうのかも知れない。とはいえ、調子の波もあるし、完全に以前の状態を取り戻すということにはならないのかも知れない。でも、弾き続けよう、と思う。ピアノは、こんな状態であっても、私にとっては、大切な自己表現のツールなのだ。今は、シューベルトアンプロンプチュの2と、ショパンの幻想即興曲と革命のエチュードを途中まで、を連続で弾く。30分程度。右手の薬指は十分に動いていない。拇指・示指の分離の悪さあり。左手は、小指・環指の分離悪さ、筋力低下、特に環指の動きの悪さあり。考えてみれば、再開当時は、ハノンの1番がまともに弾けなかったんだから、やはり随分よくなってるよ。