つるたさんより

私の書いた文章
http://www5.ocn.ne.jp/~tjmkk/ta2.htm


について、以下のコメントをもらう。
http://tu-ta.at.webry.info/200509/article_12.html


ありがたいこってす。ほんとに。ありがとうございました。
で、以下、コメントに対するコメント。


>これは田島さんの断言だと思う。立岩さんはこんなに単純明快には言い切っていないようにぼく
>には思える。できないこととは、何かができないことであり、その「何か」ということを考えて
>いくと、この表現は端的かもしれないが、端的過ぎて何も言ってないようにも思えてくる。


「能力」という座標軸においての話なわけですが、「障害」といったときに就労なんかで問題になるのが結局煎じ詰めると「できないこと」であると。でまあ、「障害」には、たしかにそういう側面もあるという意味です。で、そこに焦点をしぼって話を進めたかったので、このような書き方になったのでした。立岩先生は、そこのところ、かなり端的な書き方してるときないですか。例えば『自由の平等』のあたりでも。私の誤読かしら。そしたらごめんなさい。(<立岩先生)


>ぼくのまわりの多くの「障害者」と呼ばれる人々がそれを求めてきたとは思えない。それは「障
>害を有する人たちが求めてきたこと」ではなく、今でも少数の当事者運動にかかわる人が求めて
>きた


はい。精確さに欠けてますねぇ。でもこれは許されるかなと思ってます。勝手に。


>彼女や彼ができることに着目しさえすれば、障害者の一般就労はまだまだ広がる余地がある。そ
>れは能力主義は肯定しているかもしれないが、障害の否定ではないはず

>だ。一般就労がこの「能力主義の肯定/障害の無化・否定」を超えて、広がる可能性こそが追求
>されなければならないと考えるからここに強い違和感を感じた


まさに同感です。障害を否定する部分における「能力主義」は否定されるべきだと思います。最近なんとなく、「存在を肯定する」(存在のための)能力主義というのがありえていいんじゃないかと思ったりしてます。


すいません。ごく簡単ですが。
今後とも、ビシビシ!よろしくおねがいいたします。
(あんまりきびしいとおびえます)