栗原彬先生、共生論史

5日から9日まで、集中講義で京都。振り返ればなかなかにハードな一週間であった。やりたいことを詰め込み過ぎた。この人に会う、とか、これをやる、とか。しかし、私の目的はほとんどすべて達成。ガリガリ会もやったし?やれたのは最初の1時間というご批判もありましょうが、とにかく形式的にでも催された。そうねぇ。ガリガリ会で私が一番印象に残っていることは、Hさんが(あなたです!そこのあ・な・た!)、集中力というものをまったく欠き、「ちょ、ちょっとタバコ吸ってきます」といってはいなくなり、「あ、録音機の電気が切れちゃった」と早々と立ち去られたことで、こんなでほんまに予備論書けるんかいな、と他人事ながら心配に思った。なんなんだろうねぇ。ほんま、落ち着きねぇなぁ、ってかんじだった。隣にいたA氏の言葉を借りるなら、ほんま、ガタガタうるさかった。そう。そして、一番まともにガリガリやってたのが、A氏だった。Kさんと私が、やはり集中力を失い、しばーらく夕涼みをしていたその間も、ただひとり、戦闘態勢だった。えらい!Aさん。そうそう。で、肝心の共生論史のことを忘れないうちに書いておこう。講義の初日に栗原彬先生を囲んでの酒宴を行ってしまい、先生からは打ち上げやっちゃったみたいだね、と言われてしもたのだが、私的には、最終日打ち上げは、もう東京に戻らなければならず参加できなかったので、初日に先生とお話させていただけたのはとてもラッキーだった。そしてその時、栗原先生のご活動や「共生」をめぐる様々な言説等について何も知らなかった私は、「共生という状況はありえないんじゃないか、共生という言葉がきれいすぎて使うのに躊躇してしまう」というようなことを言って(しまっ)たのだが、講義を受けるにつれ、それが「共生」という言葉の誤用であったことに気づかされた。さて、講義について印象に残ってるあたりを書いておくと、石原良郎の『望郷と海』というのを素材にして、「共生」について考えるという時間があった。この本の場面は強制収容所であり、そこに捕虜された鹿野という男の、苛烈で圧倒的な、絶食という沈黙の行為について綴られている。鹿野は、それぞれがお互いの生命を侵犯し合うことでしか成り立ちえない捕虜の連帯、「加害と被害の同在」の席に座すことを拒否し、「告発」の言葉を語ることもなく、のがれようのない空席に座し、そういう場を見続けるという、「苦い共生」を生き続けた。あとは「歓待」ということについて。「歓待」(hospitality)というのは、カントの造語(cf.カント『永遠平和のために』;第3確定条項;カントは、世界市民を考えるうえで欠かせない、ゆえに、確定条項としている)であり、難民論と深く関わる。例えば、ヨーロッパ人と原住民。どちらが主で客なのか。どうも客がヨーロッパ人のようになってしまっている。が、「人権」というコンセプトそのものが問われる。もてなす側の応答可能性=責任が問われる。その権利には、訪問権だけでなく、滞在権も必要。そしてもてなすのだから、主と客の逆転が生じなくてはならない。主がのく、のである。主の固定は主権の力の固定であり、歓待にはならないのだ。