久しぶりの映画

スターウォーズ・エピソード3/シスの復讐
なんかねぇ、いや、アナキン・スカイウォーカーがダース・ベーダになるまでの話。なんかさぁ・・・。はぁ。一言で言えば悲しかった。なんというか、ぼんやりすると、いつのまにか、悲しい、ってかんじで悲しかった。パドメの命を救いたい一心で、暗黒卿の罠にはまり仲間のジェダイを殺し、結局、パドメの命を救うこともできず、惨めな姿で憎しみの気持ちばかりを肥大させてダース・ベーダになっちゃった、のよー。もー。だめだよ〜そんなの〜。パドメがアナキンとの間に残した子が、ルーク・スカイウォーカーレイア姫なんだね。今度、ちゃんと通してみてみたいよなぁ。オビ=ワンとアナキンの闘いで、アナキンが両下腿を切られ、地面に崩れ、流れる溶岩に身体を焼かれるという最終場面が印象的で、ほとんど黒こげになり息絶えかけたアナキンをダーク卿が救い、人体の改造をほどこし作られたのが、あの真黒仮面のダース・ベイダだった。オビ=ワンは、「俺の育て方が間違っていた」と、ダークサイドに心を占有されてしまったアナキンを責める。そして、足を切断され、溶岩に身体を焼かれるアナキンに、「愛していた」と言葉を残し、その場を立ち去る。私は、スターウォーズのことはよくは知らないが、たぶん単純に言って、ジェダイの持つフォースは善で、ダークサイドは悪、という構図にはなるんだろうが、私には、最後のオビ=ワンの「愛していた」という言葉があまりに滑稽に聞こえ、善/悪、正義/不正義が、実はその位置は不鮮明であり、それらはどちらにも容易く寝返られる位置関係にあることをつくづくかんじた。あと、ストーリー的に解せなかったと言えば、真黒仮面のダース・ベーダに生まれ変わり、「パドメは生きているか」とシスに問いかけ、シスに「おまえの怒りが強すぎて死んだ」と言われた時点で、シスへの忠誠すら、怒りで切断されてもいいのではないか、と思った。だってそもそもパドメの死を生に変換する力を得たくて(パドメの死への不安と怒り・憎しみが結びつき)、シス(ダーク・サイド)に魂を捧げる気持ちが抗えなくなったわけで(「ジェダイには死を生に変えるほどの力を持っておらず、それには暗黒面を知り尽くさなくてはならない」とシスに言われ、そんな気になったわけで)、結局、目的は達成されなかったのだから、シスの力能への疑いが生じてもいいのでは?、というかんじだった。それと、一緒にいった人が、「パドメは自分の死をコントロールできる力を持っていたんだね」と言っていて、おもしろい解釈だと思った。パドメは、アナキンの夢どおり、双子を無事出産した直後に(「アナキンにも善い心が残っている」とオビ=ワンにいい残し)静かに息を引きとるのだが、出産前に「生きる力が弱まってきている」と診断される。ダークに染まり変わり果てたアナキンにショックを受けて?なのかどうか、その理由はわからないが、となれば、パドメは自然な自死をしたわけで、それは、アナキンの欲望した、パドメの〈死のない〉無限の生と対照される。で結局、パドメは自らの力で〈死のある〉生を取り戻したことになって、だから「パドメの死」に(神秘的なんだけども、なのに/しかも)より人間的な気高さというか美しさを感じるという構図になってたのかなとちょっと思ったり。