勝手にVS

なんとなく比較してしまったのだが、「書く」ということで。小泉先生と立岩先生。小泉先生は、なんていうか(私の勝手な印象だけど)「死にながら」書いてるかんじがするのだ。それは潔いとか、再生を繰り返しているとか、世界と世界の交通可能性とか、そういうことじゃなくて、うまく言えないけど、「書く」という一見平和で日常的な所作にあって際に立ってるかんじだ。尋常ではない。それに対して立岩先生の場合はいうなれば「生にひっつかまって」書いてるみたいな。それってもしかしてなかなかに「みぐるしい」のかもしれないが、「みぐるしくたって、いいじゃない」と開き直って、やはりひっつかまって、きづいたらターザンしてたみたいな(われながらよい表現だ)。というわけで、私から見ると、あっちとこっち、180度にみえる両先生なのだが、ねぇ、でも共鳴してるんだよねぇ。おもしろい。