ゲイのお方とカラオケへ

(といっても、年がら年中カラオケに行ってるわけではない)
その人は、松田聖子の大ファンで、
一見すると、とても好青年風なのに
まるで松田聖子がのりうつったみたいに、唱う。
ほんとにのりうつったかのようだ・・・。
歌い終わった後の、恍惚とした表情といい
唱ってるときの身のこなしといい、軽やかなステップ、そして内股だ。
そんな奇異な光景をしばーらくながめていたら(もとい、みとれていたら)
突如、「ああ、だから(?)私は生きているのだ」
と、ひらめき、妙に感動した。
「生きる」ということの意味はあまりに複雑だ。
1つの「生」に巡り会えたことの幸せを誰にどう感謝したらよいのだろう。
「生」は躍動していて、「生」は多くの葛藤を抱えて、
でも「生」は、どうしようもなく、どうしようもなく、どうしようもない。
・・・?うまくいえない。
どうしようもなかろうが、なんだろうが、私はこの私でしかない。
それはどうしようもないことで、そのどうしようもなさが美しいと、
その美しさを感受するために生きているんだ、と。


さて私は「どうしようもない」を何回言ったでしょう?
ってな文章・・・。


そうそう。で、「そんなに松田聖子が好きなんだから、松田聖子セクシャリティって感じないわけ?」と訊ねてみたら、「(はあー、わかってないわねー、と言いたげに)あるわけないじゃないっ!!!」と言われた。で、私が「よくわからんな〜」言ったか言わなかったかはよく覚えてないが、「あんたがゲイの気持ちの分析するなんて百年早いわよ!!!」と窘め(?)られた。そうそう、そんで、なんだっけな、「あんたが、この人、ゲイじゃない?っていうの、ぜーんぜん、はずれてるから」とも言われた。・・・とにもかくにも、すっかりはずしてるらしい。


そして、まあ、最後には
「本日は、松田聖子オンステージにご来場いただき、誠にありがとうございました!
これをもちまして、本日の公演を終了させていただきますっ」
と勝手にアナウンスし、私もなぜだか、感動の涙を目に潤ませ、
大きな拍手を送り、カラオケ終了。