いろいろ

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リハビリの夜 (シリーズ ケアをひらく)

リハビリの夜 (シリーズ ケアをひらく)

こんな本を待っていた!ので、編集者の白石さんに(またまた)感謝です。「こんな本」というのは、リハビリ経験者が自身の身体性を基盤にしてその問題を掘り起こして言葉を作ってくれるような本ということ。リハビリはその人の身体や身体と環境との関係性に介入する実践学にも関わらず、当事者の主観的な身体観(感)からみてどうかという言説が不在だったので、そうした意味で画期的な本だと思います。もちろん内容も画期的です。特にリハビリテーション関係者に一読をお勧めしたい一冊。

例えば以下の文章は作業療法を考えるためにも有益だと思います。

「それでも私は本書において、そういった人とモノとの相違点ではなく、類似点のほうこそを強調したいと思っている。そして人相手でもモノ相手でも、同じ身体外協応構造という言葉を使う。なぜなら「私の運動」は、私の身体と外界にある人やモノとの相互交渉によって立ち上げられるのだが、その際の重要性は相手が人であってもモノであっても違いがないからである。」162

「多数派の人間(健常者)の動きについて考えるときならば、モノではなく人との交渉の中で徐々に規範的な動きを学習していくプロセスを中心に見ていけばよい。なぜなら、モノというのはすでに多数派の人との関係において規範的な動きを習得しさえすれば自ずとモノを使いこなせるようになっているからである。つまり多数派においては、モノとの関係の取り結ぶ問題は、人との関係の取り結び問題に還元されるというわけだ。
 しかし規範的動きを習得できない私にとって、そのような前提は成り立たない。もう1度トイレなどのモノそのものと対峙し、相互交渉によって一から私自身の動きを立ち上げる必要にせまられるのである。人との身体協応構造から立ちあがってくる「私の運動」は、ついつい「健常な動き」へと同化させられがちなのに対して、モノとの身体協応構造から立ちあがってくる「私の運動」は、そういった同化作用から逃れやすい。人と違ってモノは、「これが普通の動き」という先入観にとらわれないからである。
 だから私は人ではなく、まずモノとの交渉から「私の動き」を立ち上げていきたいと常々思っている。」163

  • 超久しぶりピアノ日記

岡山に行ってからは全然なので、冬休み帰省中は少し時間を作ってがんばってみることにした。でもねー。1曲を集中的にやってみて完成度をあげるのが1番とは思うのだが、なんとそれができなくなってしまっているのが悲しい。指とか手が疲労に耐えられなくなってしまうのだ。老化もあるんだろうけど困ったもんだ。そっか。そこを課題にしてみよう。それにしても何を弾いても行こうと思うところまでまともに行けない。どこかで必ず間違えてしまう。指関節の可動域も狭まっているのだ。そこも少しなんとかしてみよう。それも課題。ショパンのスケルツオの2番(の前半)をちょっとがんばってみた。身体が覚えている曲の方が間違いなく弾きやすい。でもアルペジオが特にまずかった。指の可動域制限のせいだ。ショパン舟歌はフラットが多すぎて先に進められない。頭が疲れて1ページが限界。でもそこだけもいいや。そこが好きなんだし。なぜか案外調子がよかったのはショパンエチュード系。たぶん条件反射で弾ける曲だからだ。きっと弾きこんでいったらどれだけ弾けてないかがわかるだろう。ブラームスのワルツはかわいい曲だった。最後に弾いた子犬のワルツは手と指の疲労もピークで撃沈。1時間30分程度。1週間で、最後の子犬のワルツで撃沈されない程度の筋力向上を目指す。