「リハビリの結果と責任」(池ノ上寛太著)

リハビリの結果と責任―絶望につぐ絶望、そして再生へ

リハビリの結果と責任―絶望につぐ絶望、そして再生へ

 この本は、企業人として第一線で働いてきた著者が家族旅行の途中に自動車事故に遭い、脊髄損傷による重い障害を得、そこから5度もの転院を経て新しい生活が動きだすまでのリハビリテーションの経験、ご自身の心情についてつぶさに描かれている。
 著者にとって、転院を繰り返す中で行われたリハビリテーションは良い印象を持てるものではなかった。しっかりとした見通しや説明のなさ、報われない痛み、心を傷つけられる言動、身体に変化が生じない、などによって、著者はリハビリテーションに対してしだいに不信感と絶望を抱いていく。そして、これまで行ってきた自分の仕事では「結果」に伴う「責任」を当然担っていたが、リハビリテーションの仕事にはそれが存在していないという痛烈だが的確な批判を展開する。リハビリテーションを仕事としている人は、著者のこの問題提起を心に留め、なぜ著者はそのような経験をせざるを得なかったかを考える必要があると思う。私は、セラピスト個人の問題であると同時に、セラピスト個人の倫理観、向学心、熱意などによって生じる質の落差を許容できてしまう制度にも問題があるのかも知れないと考えたりしたが、この本には読む人それぞれがリハビリテーションにおける相互作用、質、差異についてなど、考えをめぐらせる契機が沢山詰まっている。
 そして、この本の終盤には「いまあるこの状況も悪くはない」「歩けることが決定的に重要ではない」と著者が思えるようになった5か所目のリハビリテーション病院での工夫や配慮に富んだリハスタッフの関わりについても丁寧に描かれている。著者は最後の病院生活でようやく未来に対する希望と前進する勇気を獲得した。そのようにクライエントが変化してくれることを多くのセラピストは願っているはずだと思う。著者の心が大きく動いたリハビリテーションスタッフの関わりとはどのようなものであったのか?、ぜひ本書を紐解いてみてください。