ディヌ・リパッティ

本当に久々に何かCDを、と思いクラシックコーナーをふらふらしていたら、ディヌ・リパッティが目について、早速購入した。昔聞いた、ディヌ・リパッティショパンバルカローレ(だっけ?舟歌)が心に焼きついていたので、ディヌ・リパッティの別の演奏も聞いてみたかったからだ。名前だけで買ったCDだったが、よくよくタイトルを見ると、「ブザンソン音楽祭における最後のリサイタル」とある。若くして亡くなられた演奏家だとは知っていたが、最後の演奏会の録音とは。説明には、ディヌ・リパッティ自身だけでなく、家族、聴衆、すべての人が最後の演奏会であることを知ったうえでの演奏会だったと書かれてある。ディヌ・リパッティは『僕は約束した。僕は弾かねばならない・・・』と繰り返すことしかできないほど、体調は悪いものだったらしい。それにしても、ディヌ・リパッティの演奏には惹きつけられてしまう。どうしてなんだろう、と思うのだが、まずぐっときてしまうのが、1音1音の存在感。存在感というか、一粒の音の置かれ方...、置かれ方、と言ってしまうと、平面を想像するし固定的だが、なんていうかな、一粒が世界に光を放っているんだよね...。しかもそれらが連なって構成される音楽は、安定感があって、落ち着きがあって、包み込むような感触で、なにか、どこかからか降ってきているような感じもする。優しいような、憂いているような、と、いろいろな言葉をあてはめてみても、どうもすっきりとはいかない複雑さ、深度があるんだけど、その音は、くっきりと鮮明で、澄み渡っていて、透明、なのだ。テクニックとしてもとんでもすごいと思うのだが、でも、絶対にテクニックとは見せなくて、なんていうか、ひけらかし的な感じとはまったく無縁で、ただただ、その音や音楽の魅力が直に伝わってくるんだよねぇ。