岩下徹先生のワークショップ

を職場で企画し、行ったのだが、職場がノロに汚染されている絶頂期だったので、一時は延期・中止の話しもでて、え・・・、これまでの準備段階での労力が泡と化すんかえ?とひやひやもしたが、なんとかかんとか、開催までこぎつけることができた。本当によかった。しかも、ノロのおかげで、たまたま普段なら使えない(普段は訓練で使ってるから、この日はノロで訓練中止になった)訓練室(トイレ誘導、広さ等、最も良い場所だった)を使えるという幸運(悪運か?)にも恵まれた。ワークショップそのものは、私が以前参加させて頂いたプログラムとほぼ同じもの。先生の舞踏(挨拶)、先生の身体の動きを真似ながら準備体操、1対1でのスキンシップ、布を使っての自己表現、最後に先生の舞踏、である。私は、先生のワークショップを私の日頃接する利用者さんが体験したらどんなだろうと思い、この日を心から楽しみにしていたので、実現できたことは本当にうれしい。実施しているときは、カメラとったり、司会とか進行とかしてて、場の雰囲気に集中できず、利用者さんがどんな感想を持たれているかの実のところがよくわからなかったが、その後インタビューをしたところ、様々な感想聞かれ、面白かった。概ね、良好な評価だったが、そうでない人も何人か。十人十色だから当たり前。そのなかで気付いたことで面白いのは、先生の独創的な舞踏に対する評価と、そのごの身体運動で得られた(良好な)感覚が連動しているということ。つまり、先生の舞踏に対して、「引き込まれた」とか、「私も自分の世界を持ちたいと思いました」というような評価をする人たちは、その後のプログラムで、「自分の身体が軽くなった」とか「障害を忘れた」というようなことを言っているのだ。それに対して、「こわかった」「よくわからなかった」という人たちは、そういうリアクションもない。「腰が痛くなった」とか言う。その辺りの違いに、この岩下先生のワークショップの妙味が隠されているような気がしている。