障害受容研究会

今月はなんだか楽しい。11、12日は、障害受容研究会いうので、福島へ。コテージに泊まり自炊した。コテージには暖炉があり、薪で暖をとった。岳温泉、あだたら高原のあたり。まだスキーができる。12日は、朝から雪が降り始め、帰るころは吹雪いていた。夜はとにかく寒い。だから暖炉の火が温かかった。暖炉なんてめずらしいこともあって、暖炉に火がともると、みんなでしばし火を見つめていた。参加者は、N先生、Kちゃん、Aさんと、私。行った日の晩はN先生お気に入りの自家製水餃子を、みんなで具作りから始め皮に包んで約100個も作成。それをお湯のたっぷり入った鍋を囲みながらみんなで食べた。最も食べたのはAさんで、40個は食べてたかな。いつまでもいつまでも食べていた。だいたい19:30ぐらいから食べ始めたのではないかと思うが、寝たのが深夜3:00頃だったと思うが、ずーっと食べてたような気がする。なんでそんなに食べ続けられるんだろう。それがとても不思議だった。深夜3:00までなにをくっちゃべってたかと言えば、Aさんがなぜもてないのか、どうしたらもてるのか、をひたすら談義していたような気がする。他の3人はジジババなので(もし読まれて憤慨されたらゴメン)、そんな話が大好き。その晩は、勉強話など何一つせず、まあね、まとにかく、なかなか盛り上がりました。他には、Kちゃんがポジシンだってこととか、N先生が、前日も土浦で飲み会で、スキーの一回目滑降で二日酔い発症してしまい、スキーをあっというまにやめざるをえなかったこととか、たわない話をとりとめなくした。それがなんともいえず楽しかった。みんなで料理を作るというのも、楽しい。なんか微妙に分量を間違えたらしく白菜がちょっと多かったり、塩がなかったので野菜の水分を十分に取りきれず水っぽかったり、Aさんは、餃子の包みをしたことないとのことで、巾着みたいのを作ったり、なにかこう、どうしたって家でやるようにはすんなりとゆかず、それがとにかくおもしろ楽しかった。翌日は、私がぐうぐう寝ている間に、3人で、コテージ近くの温泉に朝温泉に入ってきたそうだ。しかしまあ、3時に寝て、7時頃起きていったんでしょ。まあ立派。まねできません。どうも女二人(Kちゃん、私)で寝てた部屋の窓が開いていたというか、外から見えたそうで、たまったま、朝、N先生が部屋をのぞいたら、Kちゃんが着替えていたところで、パンツが見えたとかで、N先生はその後、その話をずいぶんしておられたので、よほどうれしかったのかもしれない。Kちゃんも、そんなことぐらいでN先生に喜んでいただけてけっこうでしたそうで、なんと円満なお2人なんでございましょう。そして肝心の研究会は、帰る日のチェックアウト寸前の11時頃からぼちぼち始め、なにやらエンジンが掛かり始め、結局、チェックアウトを16時まで延長し、5時間程度行った。そのなかで気になったこと1つ。障害疑似体験の話しから、障害当事者の言説の正当性を疑わないような方向に話しが展開し(つまり何を言ってもいい、みたいな)、そのときはすっきりしないものを残しつつも特に異議も唱えなかったんだが、(障害を持つ)「当事者の言説」として回収されてしまう/してしまうことの気持ち悪さというか、暴力性みたいなのを後になってかんじた。私的には、そうしてしまうときの、障害を持たないとする側の当事者性、というか、立ち位置みたいのが、気になる。そこを霧散したかたちで、一方の当事者性をことさら浮き立たせようとする仕方というのは、たぶん、どこか確実におかしなところがあると思う。今度の研究会では、のざりんさんに「当事者性」ってことで何かお話してもらえないかしらん。