三重苦楽―脳性まひで、母で妻

三重苦楽―脳性まひで、母で妻

この本は、楽歩(ラブ)というお名前を地で行く女性の、生まれてから今日に至るまでのlovelyな自伝です。
とはいっても大変なことも沢山ありました。
例えば出生直後に生死に関わる手術とその後の医療的対応で脳性まひという障害を持つに至ったこと、ご両親の障害に対する(結構強烈とも見受けられる)否定的価値意識とドーマン法との出会いから、学校にも行かずひたすら訓練に明け暮れるという、信じられないような過酷なリハビリ生活をなんと7年間も経験したこと、そうしたリハビリ生活の終焉とともに復活した学校生活と受験の失敗…。
しかしその後、何かがふっきれたように、やりたいことをやりまくる生活に変転していきます。そして、まったくの偶然の出会いから結婚に至る経緯や、妊娠・出産・子育てを行うなかでの葛藤や奮闘の様子について、気持ち豊かに赤裸々にかつ歯に衣着せず書かれてあります。
まずは小気味よい文章も手伝ってとても読み応えのある自伝的エッセイだと思います。
それにしても、なぜ私に楽歩さんのご本の紹介の依頼があったかと言えば、楽歩さんのリハビリ生活があまりに辛く苦しかったために、なぜそんな生活を7年も続ける必要があったのか、それは楽歩さんのその後の人生にとって何らかの意味があったのかと思わずにはいられないところがあり、リハビリテーション作業療法)を仕事としている私に考えるチャンスを与えて下さったのだろうと思います。
さて、楽歩さんが受けたリハビリはドーマン法というものです。理学療法士のドーマン博士によって開発されましたが、その治療プログラムの実施方法は、定期的に訓練機関に行き一定程度のリハビリをセラピストから受けるという一般的な方法とは全く異なり、「親こそ最高の教師」という理念のもと、親がトレーナーとなり一日の治療プログラムを朝から晩までかけて実施するというものです。治療プログラムは直接ドーマン博士から手渡されるそうですが、それにはアメリカの本部で両親ともに1週間の講義を受ける必要があるのだそうです。
少し話がそれますが本の中で楽歩さんがご両親の障害に対する差別意識を激しく抉り出している感さえある文章の一つに小学校の頃の運動会のエピソードがあります。運動会では父親から、健常の子どもたちとハンディをつけることなく正々堂々と競い合い、「立派なビリ」になることを期待されたのだそうです。父親は「養護学校はあっても養護社会はない」という考えを持っており、健常者の中にあって障害者は最大限の努力をすることで周囲からの賞賛を誘うことこそが健常者社会で生き抜く適応戦略であるというような独自の哲学を持っておられたようです。
楽歩さんは、そんな父親の障害に対する考えを「障害者なんて生きている価値がない。たとえ障害があったとしても、全精力を注ぎ込み健常者に近づく努力をしなくては障害者たる者、生きる資格なし」という障害者をバカにする差別的な考えと糾弾しますが、ドーマン法のような親にとっても金銭的、時間的、身体的に大きな負担の生じる治療を7年間も続けることのできた根底には、こうした障害に対する強烈な価値意識が潜在していたということなのだろうと思います。楽歩さんは「親に甘えたことはない」と書きますが、小学校・中学校という障害がない子供であっても肯定的な親の支えが必要な時期に、大きな支えでありながら、それが本人を否定し続けるという矛盾を生き続けた楽歩さんの苦しみはいかばかりだったろうと思います。
本には血のにじむような過酷な訓練によってある程度の成果は得られたとあります。例えばてんかんの発作の回数が減った、聞き取りやすい話し方になった、転倒しづらくなった、などです。だからと言って脳性まひが完治した訳ではないわけです。その後の長い人生を考えるとむしろ大きな弊害も生じたと楽歩さんは考えているようです。それは二次障害と呼ばれるものです。小さい頃から相当な運動量を日々こなしてしまったがために骨や関節に相当な負担をかけたことで関節が摩耗し動かそうとすると激痛が生じるというものです。二次障害によって運動する機会が制限され、機能低下を加速するといった悪循環が生じますので、やはりドーマン法の弊害は大きかったと言わざるを得ないと思います。
ご主人は理学療法士であり、結婚後はほぼ毎晩ボイタ法という治療とマッサージを楽歩さんに施術しており、それは機能維持のためにとても役立っているそうです。だから楽歩さんもリハビリを完全に否定しているわけではないのです。けれどもリハビリの目的が子供時代とは異なるわけです。子供時代のリハビリは健常者に近づくため、それに対して現在のリハビリは人生における楽しみ・幸せを守るため、になるでしょうか。
本の一番最後のページに「いそがしいラブ」というタイトルのついた息子の享太郎君の文章があります。それによると享太郎君は、「しょうがいは、わらいにくい、ことばがいいにくい、かぜにかかりやすい」事だと知り、また、楽歩さんはよく「おこる」ので、「しょうがいは、おこるのが、とくいなのか。」とも考えています。そして、「ラブはこれからもママのおしごとをやっていけるか」心配もし、だけど「ラブは楽しみながら苦しむタイプなので、大丈夫だろう」とも感じています。楽歩さんが享太郎君に対する母親としての立場や役割を近親者の善意から奪われないよう必死に守ってきたことが語られたエピソードがありましたが、そうして初めて形成された楽歩さんと太郎君との親子関係から発見される障害の特性、障害の辛さ、障害の得意技…、それらすべてが生きることの醍醐味で、こんな関係を続けたいという願いに応答できるところにリハビリがあれば良いのだなとあらためて気付かされました。
障害学では親意識への批判から「これはいけない・こうあるべき」というような倫理的視点が展開されてきたと思いますが、この本や今後楽歩さんが織りなす人間関係からは、「人生楽しいときの障害は世界にこんなふうに受け取られています」というような、もっとハッピーな障害学が展開されるヒントが満載なのではないかと直感しました。ぜひご一読頂ければと思います。