福祉社会学研究7に

福祉社会学研究 7 特集:「共助」の時代・再考

福祉社会学研究 7 特集:「共助」の時代・再考

に、愛知大学の土屋葉先生が、拙著について、とてもとても丁寧な書評をくださいました。本当にありがとうございました。一部抜粋で紹介したいと思います。「葉」なんて名前、信じられないくらい素敵なうえに、ご本人はめちゃめちゃかわいいのだ。それにしても、そもそも拙著など取り上げられるはずもないスゴイ雑誌で、しかも土屋さんに書評をして頂けるなんて私はなんと幸せ者でしょう(涙)。
あと(つけたしみたいで申し訳ないけど)、うち(立命館・先端研)の大学から立岩先生、後藤先生、天田先生出演のシンポジウムの記録+α(丁寧な論考)もあり。面白かった。立岩先生の後藤先生に対する挑発的文章が・・・。

「残された紙幅で本書のもつ意義について述べておきたい。第一に、この本はおそらく著者の想定読者を超えて、「障害」について関心をもつ幅広い人の関心に応えるだろう。本書は、リハビリテーション業界における「障害受容」言説という、一見狭いフィールドに焦点化しているようにみえるが、実際には個人/社会にとっての「障害」そのものについて考察を行うものだからである。「障害とは何か」を解くべき課題の1つとする障害学にとっても大きな貢献となるだろう。また、障害をジェンダーの視点から考えることの重要性も示唆されている。近年、障害学とジェンダー学の接点を探る試みがなされているが、未だ十分とはいえない。本書では、後天的に障害をもった女性の、「母/妻として」の規範意識と役割を遂行できないことの間で葛藤する様が描かれていたが、「障害」のもつ意味がジェンダーで異なることを示している。
 第二に、本書がリハビリテーション学と障害学/社会学の架橋となるという点にも注目したい。著者はリハビリテーションにかんする理論を学び訓練を受けてきた立場で、その内在的な問題に焦点を当てている。「臨床現場に居ながらにして、そこから距離を置きつつ、批判的に検討するために、社会学という視座は必要なものだった」というが、「能力主義的な障害観(感)」を批判し、「できないこと」の否定性の多くは、社会の規則や負担と感じる周囲などの外在的なところから生じてくる」と述べるなど、障害学の知見も用いていることは明らかである。
 実はリハビリテーション学と障害学との間には、「対立」が存在してきた。杉野昭博によれば、世界の障害学とリハビリテーション学との間では一大論争があったという。リハビリテーション学からの批判としては、障害学は環境や社会の要因を重視するあまり、障害における固有の(生物学・医学的)問題を省みず、それにより実際の問題の解決を遅らせる、というのである。日本においては、とりわけ援助実践現場において否定的反応が示されている(杉野2007:47-52)。障害学は、個人モデル実践を全否定しているわけではなく、リハビリテーション学とは協働していける場面も多々あるはずである。この意味で、本書は日本における両者の奇妙な溝を埋める可能性を有している。
 とはいえ、本書への疑問がないわけではない。本書の白眉である第5章・第6章で使用されるインタビュー調査のデータは、対象者の偏りについて十分に考察されているのか、セラピスト集団における代表性についてはどうかといった、質的調査に向けられるよくある批判も浮かぶ。また本書では一貫した調査方法がとられておらず、位置づけも曖昧である。まとめ方によってはデータのもつインパクトがより強いものになったであろうことは残念だ。
 さらに重要な点としては、著者が最後に到達した「障害との自由」の像が明確ではないことがある。現在の「障害受容」に代わる、「内在的な障害観(感)」、「内から湧いてくる何か」のイメージをもちにくいのは私だけではないだろう。また、「能力主義的障害観(感)」から行なわれてきたことから否定され、能力の回復・改善の軸をはずした、内在的な障害観(感)に基づくリハビリテーションの可能性が追及されているが、ここでもどのような位置どりが可能なのかは不明である。著者はむしろ、これらに対して「正解」を求めることを回避しているようにも思われる。この本の刊行を契機とし、さらに議論が深まることを期待したい。」207-209