『生存学』

生存学 vol.1―生きて存るを学ぶ 生存の臨界 臨界からの生存 90ー00年代の変動

生存学 vol.1―生きて存るを学ぶ 生存の臨界 臨界からの生存 90ー00年代の変動

ぜひお買い求めください。損はしませんさせません(笑)。おそらくこの厚みでこのお値段はお安いと思います。厚みだけでなく中身も充実しています。まだ一部しか読んでないが、坂本徳仁さんの「三途の川の船賃くらいケチんなくたっていいんじゃない?−高齢者医療と終末期医療の経済分析」は、文章表現も中身も面白かった。医療費高騰の犯人は
「医者が増えたこと」でもなく、「悪徳医師による薬漬けや検査漬けなどの過剰診療」でもなく、「医療保険の整備・拡充によって安心して医者にかかれるようになったこと」でもなく、「物質的に豊かになって医療サービスを今まで以上に購入できるようになったこと」でもなく、「医療が相対的に高くなったこと」でもなく、「医療技術の変化」によるものなのだそうだ。あと面白かったのは、天田城介・大谷いづみ・立岩真也小泉義之・堀田義太郎対談。「老い衰えゆく」系の対談は、興味深く読んだ。天田先生ご自身が、ご自分の研究の到達点、今考えあぐねていること、などをわかりやすく語っておられ、そういうことだったのか、と理解できたり、小泉節炸裂しているところなどは、楽しく面白かったところ。例えば「この間の痴呆対策から認知症対策への移行は、先ほど老いのラディカリズムに言及されてましたが、デンジャラスな非行老人に対する社会防衛策・治安対策でしょう。同時に、ケア倫理や人道的で道徳的な介護をめぐる言説は、介護労働者やケア労働者のガス抜きでしょう。一方では、老人の狂気を「軽症化」「社会化」して無害化して、他方では労働者の狂気を「バーンアウト」などと心理化・鬱化して無害化している。そのために、心優しき人々が「統治」を担ってきたわけです。要するに、天田さんの仕事含めて、どうして認知症がこんなに前景化してきたのかと問いを立ててみる必要がある(p246)」