「社会受容」の問題

ディスアビリティコンシャスは必要である。
と同時に、障害者カテゴリーの否定的な価値付与の適正化は求められる。
南雲は「社会受容」が障害者の「自己受容」を促進すると仮説を立てるが、
なんだろ。「社会受容」って「社会」が「障害」を「受容」するってことか?
障害者に対して苦しみを生じさせないこと、他者が障害者を心から受け入れること。
「相互作用」
そうした言説の危険。
「関係性」の摩擦が問題発生の警告となり、
そもそもある、権力の非対象性の問題が霧散し、
アイデンティティ・ポリティクスの観点が見失われること、ではないか。
しかもこのとき使われる「障害」は<インペアメント>だろう。
内容的には「障害者を排除しない」
ディスアビリティコンシャスも含まれよう。
結局のところ最も重要な論点であるディスエイブリズムの問題が解消されないことに。